由緒沿革

御祭神

  • 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
  • 仁品王(にしなおう)
  • 妹耶姫(いもやひめ)
  • 若一王子(にゃくいちおうじ)

由緒沿革


御社頭 鳥居と三重の塔(宝永8年建立)

本神社は垂仁天皇の御代に仁品王が社を建て伊弉冉尊を奉祀したのに始まり、後にこの地方の人等により此の地の創始の神として、仁品王とその后妹耶姫が崇敬のあまり合祀されました。降って仁科氏安曇郷(安曇野)を領して居住すると、崇敬すること大変深く嘉祥2年(849)に創建がなされたと伝えられております。

仁科家が累代社殿の修造を加えて来ましたが、仁科盛遠宿禰が遥々と熊野権現(熊野那智大社)に詣で第五殿に祀る「若一王子」を勧請してより、若一王子の宮と称されました。代々領主の尊崇益々篤くその後度々造営修理が加えられた安曇野の古社であって、特に松本城主の崇敬篤く現在の本殿は戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康によって造営され、更に江戸初期の承応3年(1654)社殿の大修造がなされ、その時附された自紋は今尚現存しています。

当初若一王子権現と称しましたが、維新の際現社号に改められ、昭和6年に県社に昇格、昭和51年には別表神社(旧官国幣社格)に加列され、神仏習合の姿をそのままに残した仁科の里の大社として歴史と伝統を今に伝えています。