若一王子神社の夏祭りは、摂社八坂神社のお天王さまを皮切りに7月第4日曜日の前々日から3日間行われます。初日の夜に八坂神社の前夜祭が御旅所で行われ、翌日には神輿渡行のお天王さまが行われます。
お天王さま一行は御旅所を出て先ず信濃大町駅に向かいます。そして駅で稚児行列と合流し、前方をお天王さまが後方を稚児行列が一列になって、神社に向けて出発します。約1時間を掛けて神社に到着後参拝をします。続いて神社総代参列のもと若一王子神社前夜祭が行われます。神社境内は露天商が立ち並び本祭りを前に終日参詣者で賑わいます。
明けて日曜日、神社総代来賓多数参列のもと若一王子神社例祭奉祝祭が行われます。そしていよいよ若一王子祭りのメインである流鏑馬十騎と舞台六台が本通りに現れます。
先ず流鏑馬と舞台はそれぞれに列を整えながら本通りを下り、一旦休憩の後、再び隊列を整えて流鏑馬が、その後舞台が神社に向けて出発します。途中巡行改めの儀を行い、九日町、大黒町公民館前にて奉射をします。境内に到着した流鏑馬が3ヶ所の的場を9回まわる神事を行います。
夜の帳が下りて六台の舞台の本囃子奉納が始まります。静寂とした境内に、そして夏の夜空に囃子の音色が響き渡り、参詣者は暫しそれに聞き入り、やがて祭りはクライマックスを迎えます。
流鏑馬神事:7月第4日曜日(県無形民俗文化財)
本神社の流鏑馬は鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の賀茂神社と共に、わが国の三大流鏑馬の一つとして名高く、仁科氏によって伝承されてきた古い伝統と由緒を誇っています。
殊に、可愛い子供達が射手となるのが特色で町内を一巡錬り歩き、境内神事に至る5時間にも及ぶ優雅な絵巻は全国にも比類なき貴重かつ市民の誇る民俗資料です。
承久3年(1221)仁科盛遠が後鳥羽上皇の院宣を奉じ武運を祈って流鏑馬を神前に奉納したのにはじまり、現在の射手は各町より10騎出場し、近親者に不幸のなかった7才から9才位の子どもが選抜されます。
射手は、顔に化粧をし、陣羽織をまとい、太刀をさし、重藤の弓をもち、箙(えびら)には矢をさし、三蓋笠(さんがいがさ)をかぶり騎馬し、昔ながらの射手装束を着て町内を一巡し神社の境内の三ヶ所の的に矢を射て豊作を祝います。
馬には、口取り役、うちわ役、笠役、後衛役、弓持役、介添役等がとり囲み、威勢をつけます。
舞台行事:7月第4日曜日
各町より6台出て、それぞれ囃子方が10名位揃いの衣装でのり込み町内を一巡後神前に囃子を奉納します。舞台行事は江戸時代からの文化的価値のあるものであり、中でも大黒町舞台は県宝の指定を受けています。囃子方は各町毎に違った伝統ある囃子を奏し、神前に奉納する本囃子は森にこだまして各舞台にゆれる灯燈と呼応し壮厳を極めます。
稚児行列:7月第4日曜日前日
例祭を奉祝し、すこやかな成育を願う、氏子内外より200名近い稚児等が金襴の装束をつけ駅前より神社まで、平安ゆかしい輦車を引き行列をつくります。